フランスでの最後のレコーディング
先日、「銀座の蓄音機専門店のオークションにモイーズの珍しいSPが出ている」との情報を近所に住む友人からもらい、参加しました。
出品されたのは、以前、神保町のSPレコード専門店に出たときに買い逃していたもので、ちょっと奮発して落札しまた。(友人が機転を効かして僕の指し値に500円上乗せしてくれたのが勝因だったそうです。なんと、ありがたい!) これが、そのディスクです。Y(^^)
録音年表を見ていただくとわかりますが、この録音は1948年モイーズのフランスでの最後の録音の一つです。
第2次世界大戦中、ナチへの反発からパリを離れて生まれ故郷のサンタムールに疎開していたモイーズは、戦後のパリに失望しアルゼンチンを経て、アメリカのバーモント州ブラットルボロに移住します。
終戦後のヨーロッパにおけるモイーズの録音は大変少なく、現在の手持ちの資料では、このチマローザの他には、同じ1948年にFrench HMVへ、春の朝の音楽(ジェナロ)、組曲ハ長調~スケルツォ(ルイ・モイーズ)を、1947年にHMVにトリオソナタ ト長調(バッハ)をモイーズトリオで録音しているのみです。
バッハのトリオソナタは1938年に一度録音しており、ディスクグランプリを受賞した盤なのですが、なぜこの時期に(しかもマトリクスを調べるとパリではなくロンドンで)再録音したのか、なんだか意味ありげです。最初の録音はモイーズ49歳、再録音は58歳。もちろん再録音の方の演奏が、よりすばらしい。例えば、ビブラートなど再録音の方がより自然で、まるで弦楽器のようです。このディスクは、戦時中のパリでの活動のブランクに対して「健在」であることを、また、年齢的な衰えなどとは無関係で、より進歩していることをアピールするかのような存在に見えます。
そして、チマローザですが・・・。指揮者のビゴーは、イベールやモーツァルトのト長調の協奏曲で共演した人ですが、オーケストラはなぜかコンセール・ラムルー管弦楽団です。モイーズの録音では初めて出てくる名前です。(もちろん、パリのオーケストラの中でも名門の、このオーケストラとモイーズの顔合わせはライヴでは、しばしばあったでしょう。)モイーズの協奏曲のディスクはすべてGramophone(後にHMVとなる。日本ではVictor)ですが、オーケストラの名前はどれにもクレジットされていません。どうして、この録音だけにオーケストラの名前がクレジットされたのでしょう。僕にはパリ音楽院のオーケストラの名前ではないことが、ことさら強調されたように見えて仕方がありません。
演奏はすばらしいの一言に尽きます。ルイとの音色や表現が見事にシンクロした完璧なデュオは、絶対に他では聴かれないものです。
この録音を残して、モイーズ一家はパリを離れるわけですが、ディスクはフランス国外ではプレスされなかったようです。そして、アメリカでは、モイーズの私家盤以外で、モイーズの新しい録音がプレスされた形跡もありません。
アメリカのフルートスクールは、モイーズと同じフレンチスクールの継承者ジョルジュ・バレールからキンケードなどに受け継がれているのですが、モイーズというフルートの巨匠を迎えるにあたり、複雑なものが存在したであろうことは、想像に難くありません。
このあたりのお話は、確固たる証拠があるわけではないので難しいですが、いずれ触れて行かなければならないと思っています。
1楽章と3楽章のカデンツァは、ルイ・モイーズによるもの。かなり高音域まで使っており、少々甲高い響きがしますが、よくできたカデンツァだと思います。
(1999年7月29日室長Kirio)
<補足> 原盤ディスクを入手したときは興奮していて、全く迂闊にも気がつかなかったのですが、この録音は普通にSPレコードの標準回転数78回転/1分では怖ろしくピッチが高く再生されることに、最近、気がつきました。古いアコースティック時代には、こういう現象はしばしば見られるのですが、この時代のディスクではけっこうめずらしいことです。つまり録音時に78より少ない回転数で録音されているということなんですが、理由としてはSP盤2枚(4面)で録音セッションに望んだもののこのチマローザの協奏曲が微妙な長さで収録可能時間をオーバーしてしまうため、回転数を落として、無理やり4面に収めてしまった、ということなのではないかと思います。そのため、こういう事実に気づかずに普通に再生してしまうと、ピッチは相当高く(「半音」とかいうなま易しいものではない)、テンポも早めで音色も甲高い感じになってしまいます。この不具合をきちんと解消するには、若干の音楽的素養とハード上の知識が無いと無理でしょうね。これは、音楽ソフトとして評価するには今一な状態で、せっかくの録音がもったいない~。 (2000年1月3日補足)
0コメント