深尾須磨子の証言
昭和48年1月~49年3月にわたり週刊FMに「素顔の巨匠たち」という、往年の巨匠について縁のある方々が思い出などを語るシリーズが連載されました。これを2冊の単行本にまとめたものが音楽の友社から出版されていました。(現在もあるかどうかは未調査)
この中に深尾須磨子によって語られたモイーズの記事があります。(深尾須磨子については、以前にもこのブログでとりあげています。)
深尾須磨子は1930年~32年頃のまさにモイーズの最盛期に、モイーズに師事したのですが、この記事の中でモイーズがオーケストラの中でどうだったのかについての貴重な証言があります。その部分を少し引用させていただこうと思います。
『なにしろ、フルート1本で80人のオーケストラが動くんですからね。たいした人ですよ。聴衆もモイーズを聴いただけで、わあわあ興奮してしまうんです。そして、先生も困るほどのアンコールでね、オーケストラの団員も総立ちになって、モイーズに拍手を贈るんですよ。先生は困ってしまって、小さくなってしまいましたね。そんなところにも、先生の人柄があらわれていましたね。』
これはフルートソロのあるオーケストラの演奏会のことでしょうか、それともフルート協奏曲? 80人の・・・という表現からすると前者かもしれませんね。年表の部屋には有名なフルートソロのあるオーケストラ演奏のReal音源があり(注、現在のサイトではYouTubeへのリンクとなっています)、中でもパリ中の名手を集めて結成されていたコンセール・ストララム管弦楽団のレコードでは常にモイーズのソロを聴くことが出来ます。その表現には、「フルートであること」によるハンディーなど微塵もありません。弦楽器と互角の表現力を聴くことが出来るはずです。
『モイーズは、そのころ、いろいろなオーケストラと協演していましたね。オーケストラを相手にしても、ソノリティがありました。しかし、先生の一番の本場は、コンセルバトワールのオーケストラですね。その当時がモイーズの絶頂期でしたね。どこの音楽会でも、演奏が終わると、聴衆が総立ちで「モイーズ、モイーズ」と叫ぶんですよ。』
モイーズのフルートが当時の他のフルーティスト達と、いかに違っていたかがわかる証言です。
例えば、モイーズはパリのフルーティストの中でヴィブラートを使用し始めた第1人者です。「モイーズってフルーティストを聴いたかい?」「いやぁ、あいつはヴィブラートを使うんでね」という問答無用、頭ごなし(つまり演奏が良い悪いという以前のヴィブラート否定論者による攻撃)の時代から、果敢にフルートの表現を発展させていったモイーズですが、それを支持していた聴衆もまたいたんですね。まあ、保守的な体制派の笛吹きは、音楽院が「フルートにヴィブラートは要らない」と言えば、右へ習えだったでしょうが、我らがマルセル氏はそういうところは一種の野獣みたいな人ですから、非難をあびようがどんどんやったわけです。そして、深尾さんが師事された頃に、「モイーズ」大ブレークしたということでなないでしょうか。(^^)//"""パチパチ・・・・す、すみません。取り乱しました。
もう、これだけでも十分ですね。こういう証言は、記録されたモイーズの演奏レコードからは決して得られない、当時の様子を伝えてくれるという点で貴重です。深尾女史が、弟子であるがために贔屓目なもの言いをするような人でなかったことに感謝。
とりとめもなく、この章おしまい。
(1999年7月6日室長Kirio)
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