パリ音楽院管弦楽団歴代指揮者

 L'orchestre de la societe des concerts du conservatoire がパリ音楽院の正式な名前です。「パリ音楽院演奏会協会管弦楽団」とでもいう意味でしょうか。

 この近・現代フランスを代表するオーケストラは、1828年アブネックを初代指揮者に発足しています。僕は、学生時代に学校の図書館で歴代指揮者を調べたことがありまして.....(その頃からもう病気だった!?)...そのメモ書きが当時の手帳から出てきましたので、ご紹介しましょう。

 モイーズはパリ音楽院を卒業後10代でコンセール・パドルー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団の首席奏者、1913年からはパリ・オペラコミック座管弦楽団、1922年からはコンセール・ストララム管弦楽団の首席奏者を歴任し、1931年には音楽院の教授に任命されています。年表によればモイーズが最初に出会った音楽院管弦楽団の指揮者はマルティと思われますが、今のところマルティに関する情報を入手していません。

 続く指揮者はメッサージェです。メッサージェは作曲家としても有名で、1918年にはオーケストラを率いてアメリカへ演奏旅行を行っています。その時の録音と思われるディスクがあります。

この中で「スペイン奇想曲」のクロマティックをねっとりと吹く笛吹きは、どうもモイーズではないか?と思うのですが、確証がありません。残念!!

  【2020.2.8.室長補足】その後、パリ音楽院アメリカツァーのメンバー表を発見。       
             フルートのトップはゴーベールであったことがわかりました。


余談ですが、デルドゥヴェ時代の副指揮者ウジェーヌ・アルテは、ヴァイオリニストで指揮者となった人です。笛吹きにはお馴染みのアンリ・アルテの弟です。

続く、ゴーベールのディスクはけっこう豊富にあり、モイーズのソロが聞こえるものも少なくありません。 
(ゴーベールとパリ音楽院管弦楽団)

 その次のミュンシュですが、1938年頃は可能性がありますが、その後はどうでしょう?モイーズ自身ソロやトリオの活動が多くなり、また音楽院教授としての仕事も忙しくなりますし、1940年頃からはナチの侵攻に抗議して音楽院の授業を拒否したくらいですから.....。


 ミュンシュもナチに対するレジスタンス活動を積極的に行っていたそうです。その留守を副指揮者だったクリュイタンスがサポートして評価され、正指揮者となってゆくわけです。晩年、モイーズはタッファネルへの尊敬を多く語っていたそうです。モイーズはタッファネルにフルートの指導は受けましたが、オペラ座の暴君と呼ばれたタッファネル指揮のパリ音楽院管弦楽団では演奏していないようですね。

(1999年2月23日室長Kirio)

マルセル・モイーズ研究室

20世紀最大のフルート奏者の一人とも称されるマルセル・モイーズの足跡を辿るサイトです。 「私の死後にも、音楽への敬意という伝統をフルートを吹く人々に残してゆきたいものだ」 マルセル・モイーズ (スマホの方は左上のメニューバーからお入り下さい。)