Couesnonのカタログを辿ってみました。

こんにちは。助手のSawakoです。

私は先日オークションでCouesnonのクラシカルピッコロを見つけ購入したのですが、

(詳しくは私のブログをご覧ください↓)

詳細を調べるためカタログを辿っていたらなんと!

モイーズモデルが載っているのを発見しました!

こちらは1934年のCouesnonのカタログ。

私たちがモイーズモデルと呼んでいる楽器と同じスタイルのものがありました。(No 1308)

モイーズの写真の左側には、このキーの配置についての説明があるようです。

直訳すると「モイーズによって採用された、指の合理的な位置を確保する特別なメカニズムの配置」というところでしょうか?

そしてこの楽器が「1932年モデル」と呼ばれていることもわかりました。


これを発見したことが嬉しくて、すぐに室長へメッセージしたところ、色々な情報をいただきました。1932年はモイーズがパリ音楽院の教授に就任した年であること、このカタログが発行された1934年はモイーズがイベールの協奏曲の初演をした年であること。モイーズが大活躍する中でこの楽器が作られていことがより鮮明にわかり感激でした。


そして、モイーズモデルの中には樽部分にConservatoireの刻印がないものもあるそうで、その楽器が作られた時期、経緯などもわかればいいなぁということで、さらに資料がないか探してみました。


Couesnonのカタログは、トゥーラ・ジャンニーニ著「フランスの偉大なフルート製作家たち」にも掲載されていますが、1900年頃との記述があり、モイーズモデルの調査としては年代が対象外。でも、クラシカルにTULOUモデル、円錐管、円筒管まで、この時代にも幅広く作られていたことがわかる資料ですので、お手持ちの方はぜひ開いてみて下さい!

(私がブログでご紹介した1912年のカタログも同じ内容でした)


確認できる中で最初にモイーズが登場するのはこちら、1928年のカタログです!

モイーズの写真の上の記述は、1927年と1928年のパリ音楽院のコンクールで、Couesnon-Monopoleを演奏する奏者にプルミエプリが授与されたという内容でしょうか。そして、モイーズが「試している」ともあります。ただ、この時はまだ「Conservatoire」の表記がなく、Couesnon-Monopoleであり、またあの特徴的なキーのフルートは見られません。


ですが、室長にこの画像を確認していただいたところ、

「1928年のMonopoleはリングキーですが、インラインではなく…なんとなくモイーズ モデルみたいなハーフオフセットみたいに見える。左から2番目のフルートはトリルキーがはっきり写っていますが、モイーズモデル同様に435時代設計のものより間隔が広いですね。ということは、ケノンのフルートのスケール設計変更はモイーズモデルだけじゃなかった??」

と、大変興味深いご指摘をいただきました!さすが!さらに、

「1927年の初録音は洋銀のルブレだったという情報もありますし、確かにやや少し長めのボディ設計風ですが、1930年のモーツァルトのD協奏曲やストララムでの牧神の午後は同じルブレとは思えません。

1932年モデル発売の前にはおそらく様々な試作品を様々なシーンで試したはずですし、モイーズ自身が充分に検証するためには様々なレコーディングにも使ったことでしょう。」

ほほう!なるほど!

恐らく、1928年ごろから色々なことを試みて、モイーズ自身もその試作品を演奏に使いながら、1932年に発表という流れだったのではないかと思われます。そして気になるのが、このモイーズが開発に関わった楽器だけ「1932年モデル」と書かれていること。


他の楽器でも、1928年まではCouesnon-Monopoleがあり、1934年のカタログからCouesnon-Monopole Conservatoireが登場します。Couesnon社はギャルドとの関係が強かったことが20世紀初頭のカタログから伺えますが、ここでConservatoireを前面に出してきています。その中で、モイーズモデルのフルートだけが「1932年モデル」と書いてあるのは、まだこの楽器が発展途中という認識だったのではないでしょうか。もしかすると、あまりに革新的であったことが影響しているのかも知れません。


1934年以降のカタログが見つからないため(どなたか情報をご存知でしたらお教え下さい!)、その後どういった変遷を辿ったのかはわかりませんが、ミシェル・デボスト著「フルート演奏の秘訣」に興味深い記述がありました。


モイーズモデルについての注釈で「1930年から1960年のあいだに制作された、内径が大きく、カバードキーのフランスのフルート。左手がよりよい位置に回転できるように、左手のキーが本体の一直線上をこえてついている。オーレル・ニコレ、ガストン・クリュネル、モイーズ自身や何人かのヨーロッパのフルーティストがこの楽器で演奏してきた。」と。


モイーズがアメリカに渡るのは1949年。その頃に製造が終了したのかと考えていましたが、この情報が正しければ、思った以上に長い期間、製造されていたことになります。


楽器について多くを語らなかったモイーズ。

「楽器にこだわりがなかった」と言われることもあるけれど、本末転倒にならないようにあえて語ることを避け、ひたすら音楽を追究する姿勢を貫いたのだと私は思います。


けれど、その影響か、これほどまでに考え抜かれた楽器でありながら、真価が伝わっていないことが残念です。

だからこれからも、この楽器の検証を続けていこうと心に誓う助手でした。



1928年と1934年のカタログはこちらで見ることができます。

他の楽器もたくさん載っていて大変興味深いのでぜひどうぞ!

マルセル・モイーズ研究室

「私の死後にも、音楽への敬意という伝統をフルートを吹く人々に残してゆきたいものだ」 マルセル・モイーズ 20世紀最大のフルート奏者の一人とも称されるマルセル・モイーズの足跡を辿るサイトです。 (スマホの方は左上のメニューバーからお入り下さい。)