ムラマツによるコピー
ムラマツはモイーズ自身の依頼により、モイーズが使用していたクエノンのコピーを作製している。
これに関して僕が得ている情報は、季刊「ムラマツ」Vol.6 1985年冬号(1984年12月20日/発行)とPIPERS Vol.43 1985 MARCH号(1985年2月15日発行)掲載の記事だ。(もし他にも情報が掲載されている出版物をご存じの方、ぜひぜひお教えください。)
PIPERSはモイーズ追悼企画でムラマツの青木宏氏と三上明子氏、立川和男氏の3者鼎談で、季刊「ムラマツ」の記事はコピー製作に関するエピソード紹介と、どちらも青木氏によって語られておりその内容もほぼ同じ角度からのものだ。
僕なりに、上記の記事をまとめてみると、
1981年2月、ムラマツにモイーズ自身から使用していたクエノンとコピー作製依頼のレタ ーが送られて来た。モイーズのレターは『若い頃、色々な楽器を試したがどれも気に入らず、クエノンの工場へ毎週足を運び、苦心して独自のスケールを完成させた。長らく使用していたが、長期の使用と癇癪を起こして楽器を投げつけたりしたために調子が悪くなってしまった。是非、この楽器をもとにしてコピーを作製して欲しい。』という内容であった。
ムラマツではモイーズの依頼を受けて、最初はモイーズに自社が努力して開発したムラマツのスケールを試して欲しいと考えたが、モイーズの高齢(当時すでに92歳)を考え(いまさら新しいスケールの楽器に慣れるのは無理ということ)、コピーを作製することとなったそうだ。
しかし、この発想が僕には不可解でならない。なぜならムラマツは確かに世界のムラマツだしムラマツの新しいスケールは多くのプロの演奏家に支持もされているだろう。しかし多くの演奏家が「神様」(僕はこの呼び方は決して好きではないが)と呼び、ムラマツもモイーズの復刻としては世界最大級の「モイーズ大全集」をリリースしたりしているわけで、モイーズをフルート界の特別な人物と認めているわけだ。そのモイーズが設計に自ら参加した肝煎りの楽器のコピーを作成し、その設計思想などを学ぶ絶好のチャンスではないだろうか?
モイーズがムラマツにコピーを依頼したのは、第一にはムラマツの技術力を信じてのこととは思うが、技術力はピカイチだがヘインズなどと比べると伝統という足枷が欧米の老舗に比べれば軽く、拒否反応も少なく、コピー作業を通じて自分の設計した楽器の設計思想の影響を与えることができるとモイーズは考えたのではないか?というのは深読みすぎであろうか。なぜ、そのように考えるのかというと、モイーズのスケールをコピーした楽器としては三響のCSが既に市販されていたからだ。なぜ、モイーズは三響に依頼しなかったのかという疑問も残る。その理由として、すでに92歳という高齢のモイーズがわざわざムラマツにコピーを依頼したのは、単にコピーが欲しかったというだけではなく、何か別の意図があったのではないかと・・・。
それはさておき、コピーを作る決断をしたムラマツスタッフは、吉田雅夫氏の助言を仰ぎつつ、直接モイーズ自身にも材質をどうするかなどの連絡を取ったりした。モイーズは(少し考えてから)きっぱりと「洋銀に銀メッキ」と希望したそうだ。
ムラマツでは(青木氏によると)クエノンが発売したモイーズモデルについて、ある程度調べたりして知っていたようだ。モイーズから送られてきたクエノンを計測して、その数値が市販のモイーズモデルとは全く異なったため、ムラマツではモイーズが使用しながらどんどん手を入れていったのだという結論を導きだしたようだ。(しかし、ムラマツが言う「モイーズモデル」がいつ頃のモデルなのかは文書中からはわからない。)
前述の雑誌にはコピーの元になったモイーズの楽器とムラマツがコピーした楽器の写真が載っている。
写真はPIPERS誌(PIPERS Vol.43 1985 MARCH号)掲載のもの。
上がMoyseのCouesonで、下がムラマツによるコピー。
ムラマツには聞きたいことが山ほどある、洋銀はどのような組成のものを使ったのかも知りたい、反射板はどういう形状だったのかも知りたい。しかし、問い合わせをした場合の反応がだいたい想像できるのでやめておくことにする。
実は三響にも一度電話を入れたのだが、こちらが真剣になればなるだけ、先方は戸惑うようで、なかなか聞きたいことが聞き出せない。もちろん現役メーカーだから主力商品の販売に差し障りのあることは言いたくないのは当然だろう。)完成したコピー楽器は見事な仕上がりで、カップやキーの一つ一つを旋盤やヤスリで手作りした力作だった。
(カップまでコピーするのは、とても重要な要素だと思う。なぜならいくらトーンホールの位置やサイズをコピーしても、キーカップの大きさがオリジナルと異なれば、キーを開放した状態でのカップの影響の出方が違ってしまうからだ。)
この楽器を手にしたモイーズの感想はどうだったのだろうか?
そして、いま現在この楽器はどこにあるのだろうか?
ムラマツの青木氏は完成したコピーのフルートを試奏して、最初はどうしてもモイーズの演奏に付随する独特のニュアンスが出ず、モイーズの「ピッチの低い楽器を演奏するときは反射板の位置を18mmにしなさい」というアドヴァイスを思い出し、試したところうまくバランスがとれたということだ。そしてこの時、この楽器の設計は「ハイバランス」であることがわかり、コピーを作製してよかったと思ったそうだ。この「ピッチの低い」「ハイバランス」の意味が今一つ理解しにくいのだが、実際僕自身も現在は17mm以上にセットして良好な感触を得ている。
結局、ムラマツの青木氏によるコピーの説明から肝心のところはうかがい知れない。
ゴールウェイ氏の著書中でクーパー氏が自身の楽器設計について語っているような、明快な切り口でクエノン、モイーズモデルを解剖してくれるお方はいないものだろうか・・・。
(2001年7月18日 室長Kirio)
*2002年8月4日
写真画像を追加したため若干の補筆をした。画像転載に快諾を頂いたPIPERS編集部に感謝、感謝。
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