フェルナン・デュフレーヌについて
これから述べることは「雑学講座」というタイトルにはふさわしくないかもしれない。けれども、「コラム」などというページを設けるガラではないし、これ以上中途半端なコーナーも増やしたくないので、ここに書くことにする。そもそも「講座」という名前も怪しいもので、「雑学」の冠を被せておけば読者諸兄も少々のことには目をつぶってくださるに違いないという魂胆なのだ。いっそ「高座」とでもしたほうが良かったのかもしれない。
まあ、いい訳はこのへんにして今回はデュフレーヌのことです。
ここのところ、フェルナン・デュフレーヌへの関心度の高まりというか深まりというか、なかなかすごいものがある。どうも、ここのご本尊マルセル氏を凌ぐ勢いでファンが増殖しているように思うのは僕だけだろうか?
だからといってモイーズ研究室として、「このあたりでフェルナン氏の勢いを叩いておかないとマルセル氏の天下が危うくなる」なんてこととは無縁なのだが・・・・。僕にとってのいつもの関心事は、「自分はどうしてこれほどモイーズに魅力を感じるのか?」ということでしかない。
ところが、フェルナン氏の熱狂的ファンの中には「打倒モイーズ!」みたいに元気の良い方もいらっしゃる。(そう言えば「もいーず度テスト」の参加者にもいました。最初、フェルナン氏の遠い親戚かなんかか?と思ったくらいだが、ご丁寧に100点を取るまでがんばった努力は認めましょう。)そういう挑戦的なまでの熱の入れようにはご苦労様と言っておくが、そのモイーズ版をここでやる気は更さらない。その代わりになるかどうかわからないが、僕がデュフレーヌをどう見ているかを語らせていただく。それは、結果として僕がモイーズをどう見ているかを、より明確にもすることになるかもしれないので、やってみる価値はありそうだと思う。
まず、フェルナン氏は大変すばらしい笛吹きだと思う。
・・・(笑)なんとも月並みだが、私はめったに笛吹きを誉めたりしないので、これは最大級の賛辞と思っていただいて結構。
そして、「彼こそフレンチ・スクールの正統な継承者である」という意見があるが、これにもほとんど賛成して良い。なぜなら、僕には彼のフルート演奏は確かにゴーベール(その師タッファネルは録音が残っていないが、おそらくタッファネルも加えてもいい)のそれを、より現代の音楽シーンに最適化した形で高度に発展させたもののように聞こえる。
では、モイーズはフレンチスクールの異端児だったのか?というと、そうではない。モイーズはフレンチスクールの本流の流れを汲みながら、当時の様々な音楽シーンの環境の中でそれをさらに一歩前進させたが、モイーズ以降、彼に演奏の表面的なスタイルが似ていようといまいと、何某かの影響を受けていないフルーティストはいないと言っても良いだろう。しかし、第二次世界大戦後、モイーズ自身がアメリカに移住してしまったことで正統な後継者とは言いにくい状況となってしまったのだ。モイーズがアメリカを本拠に世界中のフルーティストたちに教えたものが、どんなにフレンチスクールの本質を伝えるものであったとしても、そこには「モイーズ流の」というレッテルが貼られてしまうだろう
デュフレーヌのヴィブラートは決して「ちりめん状態」ではなく立派なものだ。モイーズと異なるのは、ヴィブラートの存在が音楽の根幹とモイーズほど積極的には密着していないように感じる点だが、僕はこのあたりにもデュフレーヌの師でもあるゴーベールの時代に近いものを見る。もっとも、その善し悪しを言うつもりは全くないので誤解のないようにお願いする。スタイルが古いという意味ではなく、表現のスタイルが異なると言いたいのだ。
また、デュフレーヌには、現代は別にして彼の先輩にあたる多くのフランスの奏者(ル・ロワ、ブルゼ、バレール、コルテ、クリュネルなど)とは一線を画した音程の行儀よさがある。使用楽器がルイ・ロだとするとどういう設計(主にスケール)の楽器を使っていたのだろう?と興味津々なのだが、他の奏者たちだって結果が悪ければ、他の楽器を選んだり探したりする選択肢はあったはずだから、結論から言えば人並み以上に「耳がいい」 「音程にシビアだった」ということに尽きるのかもしれない。
僕はここでデュフレーヌの音程に対して「行儀いい」という言葉を使い、あえて「音程がいい」とは言わなかったのだが、それは音程についての評価というものも実にあいまいなもので、人によって様々な「音程のよさ」の価値基準が存在すると思うからだ。デュフレーヌはオケマンとしての録音がほとんどであるが、彼のオケの中での演奏には「フルートだから(少々の音程の不備は)しょうがない」というような絶望的な子供扱いは不必要だ。実にしっかりしている。
では、モイーズと比べるとどうだろう?
モイーズの方がデュフレーヌより「行儀が悪い」かもしれない。しかし、音楽的にはより能弁ではある。これは、好みの領域に入っているので議論は避けたいところだ。楽器演奏において、すべてを満たすことは難しい。デュフレーヌは音程に「行儀よく」することで何かを満たしただろうし、モイーズは「行儀を少々悪くしても」表現したい他の何かがあったのではないか?
ところで、モイーズの音程は「上ずっている」と譲らない島国の一派がいる。(彼らは、デュフレーヌ氏を絶賛して止まないらしいが・・・・)僕はその一派の「上ずらない」ということへのストイックなまでの信念や、楽器を分解しトーンホールに車の板金工よろしくパテを塗りたくり改造する研究熱心には敬服するし、正しいスケールの楽器を使用することによりフルート奏者が受ける恩恵ははかり知れないいう事実には大賛成だ。しかし、音楽とは単純に「上ずらなければ最高」と問屋が卸してくれるようなものではないと思うし、世界に現代フルートの魅力を広げることに成功したのは、「音程のいい」島国の笛吹きではなく、対岸の仏の国の「音程には無頓着」な笛吹きたちであった事実を忘れてはいけないと思う。僕は島国の笛吹きの音程は確かにいいが、いささか「低血圧ぎみ」だと感じている。(おっと、熱くなってしまった。デュフレーヌ、デュフレーヌ!)
デュフレーヌのフルートの音色については、「純白だ」「燻し銀だ」と、これまた絶賛の声が高い。確かに彼の音は最良の中音域と良質な低音域を持っているし、高音域はフルートらしい軽快でクリアーな声質だと思う。この文書を書くにあたって、山野楽器のCD「フェルナン・デュフレーヌの至芸」を聞きなおしてみたが、彼がソロを吹いたドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」などは実に見事なものだ。僕の愛聴盤はストララム管弦楽団でモイーズが演奏しているものだが、ドビュッシーが思い描いたイメージはむしろデュフレーヌの演奏の方かもしれない。つまり、デュフレーヌは一般的にフルートという楽器に期待される要素を見事に具現しているとも言えるかもしれない。
それに比べると、モイーズはここでも「行儀」が悪く、一般的なフルートの枠を少々はみ出していると考えられる。(「発展させた」とも言うが。僕はそこが好きなのだ・・・)
ところで、モイーズはデュフレーヌについてどう感じていたのだろう?
モイーズはデュフレーヌを高く評価していたという話は聞いたことがある。
「フルート奏者に対するモイーズの評価」は、妙にブランド化してたり、モイーズの発言にも自分の影響力へのこだわりがあったりしていて、その多くの逸話が単純に信用していいものかどうか非常に怪しいという気がする。しかし、デュフレーヌを評価したというのはおそらく間違いないだろう。
しかし、モイーズがデュフレーヌの名前を頻繁に口にしたとは考えにくい。
前述の通りモイーズは師であるタッファネル、エンヌバン、ゴーベールの後継としてフレンチスクールの思想を継承し一層推し進めた人物であり、その結果、フルートは単に歌のオブリガートやオーケストラの中の一楽器、取るに足らない軽業師ではなくなったのだ。また、タファネル、ゴーベールのもとからは数多くの優秀なフルーティストが育っている。この両者は教えることの大家でもあったのだ。モイーズも教えることへの情熱は師匠ゆずりだ。ところがデュフレーヌは、あれだけの技量を持ちながら終生オケマンであり、そのスタイルはモイーズが推し進めた方向性とは異なり、モイーズ以前のフレンチスクールのスタイルをベースに発展させたかのようなものなのだ。しかし、考えてみればそれはデュフレーヌとの共通の師、ゴーベールから派生した流れなのかもしれない。また、教えることを頑なに拒んでもいたようだ。
モイーズも複雑な思いだったのではないだろうか・・・。
モイーズファン、デュフレーヌファン、双方のひんしゅくを買うかもしれないと思いつつ、この章ここで終わり。
(2001年8月18日 室長Kirio)
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