モイーズが使用した楽器

フルート吹きという人種は楽器談義が決して嫌いではない。

しかし、マルセル・モイーズが使用していた伝説的な楽器について、これまで多くが語られることは意外に少なかったのではないだろうか。その最大の原因はモイーズ自身がそれについてのコメントや、そもそも楽器談義そのものを拒絶しており、多くを語らなかったこと。そして、たとえ語っても決して直球ではなく変化球(それもビーンボールぎりぎりの臭い球を)しか投げ返さなかったことではないだろうか。

また、例によってあまりにモイーズのことを「神様」あつかいし、聖域化しすぎたことも影響していたのかもしれない。モイーズが起こしたことすべてがモイーズの天才のなせる業であり、天才モイーズだから、自身が「おんぼろ」と称していた楽器でも、あのような演奏が可能であったと信じた人も少なくないと思う。過去、多くのモイーズ信奉者達はモイーズの演奏の魔法に魅せられるあまり、あの楽器の真の姿を捉えようとしなかったのではないだろうか?

そして、1948年の渡米後、様々な理由からアメリカ国内で、長い間モイーズの真価を発揮する機会をもぎ取られ、モイーズの存在が「伝説化」してしまっていたことも見逃せない。

単純な疑問である。あの天才が演奏家としてのキャリアの大半を本当に「とるに足らないおんぼろ楽器」に託していたのだろうか?

こういう仮説は可能だし間違いないことだろう。「モイーズなら他の楽器を用いたとしても一定の成功は収められた。」

しかし、多くの笛吹き達がいわゆる「名器」を持つことに慢心するなか、モイーズはあえて自称「おんぼろ」楽器を求め手に入れたことを忘れてはならない。

ここで「モイーズ研究室」としての見解を述べ、これを読んだ方々からのご意見や情報をいただくというのも悪くないと思うので、たいした資料もなく、様々なお叱りも覚悟のうえで取り組んでみることとした。


モイーズが全盛期から終生まで使用していたフルートはCouesnon社製(クエノン、ケノン)で、その開発にモイーズ自身が深く関わった楽器だったことは周知の事実だ。この楽器が正式に発売になったのは1930年頃だが、実際にモイーズがいつごろから使用していたのかは不明である。(もっとも、モイーズが使用していた楽器はModel-Monopoleと呼ばれていた一般の「市販品」そのものではなく、使用しながらさらに手を加えていったオリジナルなものであった可能性も高い。)しかし、この開発がクエノン社の意向からなのか、モイーズ自身が「新しい楽器」を必要としたことを起点としているのかを説いた資料には出会ったことがない。

現在、クエノンのModel-Monopole(モイーズ・モデル)を愛用または所持していたら、他のフルート吹きから「ゲテモノ」の視線を浴びる可能性が高いだろう。なぜなら実際にこのモデルを使用して世界的に際立った成功を収めた奏者が大変少なく、この点を根拠にそう見られることは否めない。しかし一般的な楽器とは異なる外見的な特徴(左手キーに付けられた補助指板や隆起したボタン付きの右手キー、円周方向にではなく他のキーと同一平面方向にオフセットされたG&G#キー、長く伸びたG#レバーetc.....)が真っ先に目立つことによるとすると、これらはモイーズ・モデルの本質的なものではなく残念なことだ。


では、モイーズ・モデルとはいったいどういう楽器か?

これを説明するのは、とても難しい。もちろん、その「核心」がずっと開発者モイーズ自身によって「闇の中」に葬られ、語らずじまいのままになっているからだが・・・・。

 次回に続く・・・

(2000年11月19日 室長Kirio)

マルセル・モイーズ研究室

「私の死後にも、音楽への敬意という伝統をフルートを吹く人々に残してゆきたいものだ」 マルセル・モイーズ 20世紀最大のフルート奏者の一人とも称されるマルセル・モイーズの足跡を辿るサイトです。 (スマホの方は左上のメニューバーからお入り下さい。)