巨匠マルセル・モイーズ大全集
ご存じの通り、現在世界最大級のモイーズの復刻CDだ。LP時代に最初は分売で発売され、後にボックス入りでセット販売されたものがCD化された。大手のレーベルではこれほど広範囲なレーベルを網羅することは著作権上難しい面があるらしくmuramatsuならではの企画と言えよう。(例えばEMIなどの場合、Columbia、Odeon、GramophoneなどはOKだが、Anthorogie Sonoreなどを復刻することには二の足を踏むらしい)
しかし、CD紹介でも少し触れたが、日本のフルートメーカーの大御所であるがために身動きの取りにくい場面もあるようで、解説書の内容にはなかなか泣かされる。ムラマツも解説執筆となれば、日本のモイーズ研究第一人者のこの方に声をかけざるを得ないですものねぇ・・・・。
そして、その内容に文句を言おうなどというフルート関係者はいないでしょうからね。
かくして、長い長い間、日本のモイーズ入門者がバイブルとすべき復刻盤の解説書には、多くの間違いが存在し続けています。というわけで、それについての修正データをここに発表したいと思います。
Page1.
CDに甦るモイーズ----相沢昭八郎 文中の「メンゲルベルクが黄金時代のコンセルトヘボウを振ったバッハの組曲2番ののフルートの美しさは、いまだに脳裏にあざやかである。このフルートが、マルセル・モイーズだと信じられているのだが」は、相沢氏の勘違いで、このフルート演奏はコンセルトヘボウにこの人ありと言われた名手、バルワーザー以外には考えられない。ちなみにバルワーザーは木管フルートを吹いていたはずだし、コンセルトヘボウの演奏はチュッティではフルートを2本にしていたように記憶する。
Page4.
G.トゥルー(ピアノ) G.TRUE, Piano
これは、ジョルジュ・トリュック Georges TRUC の間違い。
Page9.
ピアノ/ルイ・モイーズ、J,ベンヴェヌティ(10)(11)(12)、R,デロ
とあるが、(3) アンダンテ・パストラール のピアノはG.トリュック。
ここに、R.デロという名前があるが、(2)(4)(5)(7)(8)(9) はルイ・モイーズに間違いないし、残るのは(6) のヴェニスの謝肉祭しかない。このジュナンの原盤にはピアニストの名前はクレジットされていなかったはずだから、ひょっとするとモイーズ氏本人による情報かもしれない。すると、同時に録音された、アルルの女~「メヌエット」、ヘンデルのソナタ、「精霊の踊り」も、このデロというピアニストと言うことになるのだが・・・・。
Page10.
ピアノ/N.ガロン(6)(11)
(6) のベートーヴェンのトリオはガロンに違いないが、(11) のヘンデルはモイーズ初録音の4面のうちの一つであり、ガロンのピアノという可能性はないだろう。
Page12~13.
ピアノ/ルイ・モイーズ(9)、G.トゥルー(12)(13)(14)(15)(16)
とあるが、G.トゥルーはG.トリュックの間違い。
(12)(14)(15) は1930年の一連のオデオンへの録音だが、このオデオン盤にもピアニストの名前はクレジットされていなかったはず。(16) はコロムビア原盤にトリュックの名前が明記されている。
(13) は初録音のシリーズの1曲でトリュックではない。
Page39.
「アルルの女」第2組曲より「メヌエット」の解説で、モイーズ先生33才の時の演奏で、
とあるのは間違い。1922年ということになってしまうが、この年代ではアコースティック録音時代になってしまう。1927年38歳の時が正しい。
Page40.
「カルメン幻想曲」より「ボヘミアの歌と終曲」の解説で、「現在のベーム式フルートでも難しい曲ですが、この曲の作られた頃は、いわゆるアルバート式フルートでこれを吹いたのですから、ボルヌという人は、余程のテクニシャンであったのでしょう。」
とあり、吉田氏はよほどアルバート式に思い入れがあるようですが、ボルヌはジュリオと共にベーム式のフルートの改良をしたことで有名な奏者で、ベーム式を使用していたことは間違いありません。
以上が僕が気づいた間違いの部分です。実は、この復刻盤には録音データというものが、全く掲載されていません。そのため、モイーズの非常に長い音楽人生の中で、いったい何歳頃に録音されたのかを知る由もなく、この全集のせっかくの価値を貶めていると思います。おそらく、今後も販売されてゆくことと思いますので、いつかキリの良いところで改訂版を出されることを希望いたします。
ということで、この章このへんでおしまい。
(2001年2月7日 室長Kirio)
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