オークラウロ
オークラウロという楽器をご存じですか?
これは、簡単に説明すると【ベーム式フルートの本体、足部管に尺八の歌口を持った頭部管をセットした楽器】です。こう言ってしまうと、なんだかゲテモノっぽいですが、これでも、かの大倉男爵、大倉喜七郎が考案しオークラウロ協会なる団体まで組織していたのですから驚きます。
現在、この楽器を演奏する光景を見ることはありませんし、開発当時だってどの程度普及したのかあやしいものですが、『日本音楽の歴史』(吉川英史著)によると
『尺八は(中略)単純な楽器でありながら、玄妙複雑な音楽が奏される。昔の日本人はそれを誇りとし、それを尺八の長所としていた。ところが尺八の音は不確実でむらがある。半音階のようなものは、自由に速くは吹けない。そのような不便さをなくする一方、尺八独特の音色をあくまで保つような楽器を創作しよう~、この狙いで大正10年頃から大倉喜七郎が尺八の改良を思い立ち、昭和10年9月に発表したのが、金属製の有鍵の縦笛「オークラウロ」である。それは創案者の名前「大倉」と、ギリシアの縦笛の一種アウロスを組合せて名づけられたものである。』ということで、
写真のようにバッソ(バス)からピッコロまで5種類あったが、C管フルートにあたるソプラノ(写真左から2番目、全長約60cm)が通常使用されたそうだ。
実は、このオークラウロをモイーズは持っていました。1976年3月発行『モイーズ研究会会報No22』に「モイーズトーンと大和笛の融合」と題した高橋利夫氏の文にこうあります。『ウェスト・ブラトルボロの大先生の家の小さなスタジオの机の引き出しの中に大事菩薩にしまい込んであるのは大倉ろう(まま)という歌口は尺八、主管はフルートで組合わされた、むかし大倉男爵が考案された楽器です。大先生はどこで、いつ入手されたのか、この古代ものの笛を昔はよく愛奏されたようです。その大きな理由は音色の独特のひびきにあったのです。(中略)御承知のとおり、尺八の歌口は竹を割ったように鋭いものです。このエッジが鋭いということは低音を唇をリラックスさせて、しかも輪郭のはっきりした音を出すにはどうしても必要です。クェノンのエッジの鋭さはこの大倉ろう(まま)によるところが大きかったのではないでしょうか。』
クエノンのモイーズモデルで歌口のエッジが鋭いのは、オークラウロの尺八スタイルの歌口に触発されたのではないか?という主旨のようです。歌口エッジが鋭いと低音域の音色が尺八的音色の方向に向かうということは言えますが、様々な歌口形状の可能性の中からモイーズが鋭いエッジを選択するときに、オークラウロを参考にした可能性はないと思います。(昭和10年、オークラウロが発表された時、モイーズモデルはすでに完成しておりモイーズ全盛期、大活躍中です)
しかし、モイーズがオークラウロを持っていたというのは面白いですね。吹いている写真でもあったら、傑作だったのに・・・。
モイーズがオークラウロに出会う可能性はいくつか考えられます。
吉田雅夫氏によると、「オークラウロはロンドンのルーダル・カルテ社に製作を発注していた」ということです。モイーズは若い頃、頭部管をエボナイト管で実験的に試作していて、出来上がったものはフランスのメーカーではなくルーダル・カルテ社に持ち込んで金属管に置き換えてもらっていたそうです。ルーダル・カルテの工房で遭遇したという可能性が一つ目。
我が研究室研究員のまるはな氏が、学生時代(20年ほど前のことです)、オークラウロを図書館で調べたとき、足部管が朝顔のように開いたオークラウロの写真を見て、僕にスケッチをくれたことがあります。(写真)そのスケッチとまるはな氏の報告をメモした手帳が手元にあり、メモには「1.G、Gisキーはほぼストレートに並んでいるが、別のポストにとりつけられており、クエノンそっくりである。G、Gisのチムニーは高くなっていると思われる。2.Fキーの裏側にクラリネットのような指の支えが付いている。3.C、Cisトリ ル・レバーがフルートよりかなり前に出ている。4.歌口は尺八と同様のものである。5.足部は朝顔がついている。」 と書かれています。
つまりルーダル・カルテ社以外にもオークラウロは発注されていて、メモの1番目から類推するとそれが クエノン社である可能性がある。つまり、モイーズ・モデルの製作元のクエノンの工房で遭遇した可能性。これが、二つ目。
尺八の名手福田蘭童がオークラウロをモイーズの前で演奏した、という記事を昔何かで読んだような気がします。その足部管にはラッパのような朝顔があり、なんと朝顔には3 本の紐で「つば受け」の皿かザルのようなものまでついていて、奏者が尺八特有の「首ふり」をするとザルがブラブラ、クルクル回って、モイーズは大笑いしたとか・・・。すると、その時にモイーズに楽器を献呈したのか? 戦前、モイーズという名前は、言わばフルートのカリスマ的存在ですから、こういう記事は簡単には信用できませんが・・・、でも笑い話としてはよくできている。
しかし、大倉喜七郎が日本文化をヨーロッパに紹介していたのは事実のようで、ローマに日本画家の作品を大量に持ち込み、展覧会を開いています。この時、日本の大工を同行させ、会場は純日本風に仕立てたというから、念の入れ方が違いますね。また、パリで和洋合奏(尺八とピアノなど和洋の楽器混成による演奏)のコンサートを開いたという話も聞いたことがあります。これが事実だとすれば、まさにその折りに、フランスのフルートの名手モイーズを、大倉氏が同行の尺八奏者と訪ねたのかもしれませんね。これが三つ目。
あとは、雑学講座にしばしば登場する深尾須磨子と大倉喜七郎との関係なのですが、手元の資料をどう調べても出てこない。どなたかご存じないですか?
というところで、いつもながら唐突にこの章このへんで終わり。
(2000年7月1日 室長Kirio)
<追加=「オークラウロを聴く」>
音源は古いSPレコードで曲は「旅愁」(福田幸彦<さちひこ>編曲)オークラウロ/福田真聴、チェロ/高 勇吉、ピアノ/米山正夫(合唱付)です。なお編曲者の福田幸彦は福田蘭童の本名。ちなみにディスクのレーベル面で楽器名は「オークラロ」となっており、どうも名前そのものも普及しにくかったことを物語っています。お聴きの皆さま、この珍しい演奏、どうお感じになりましたか?
<追加リンク> 2001年10月23日
webを徘徊していましたら、オークラウロに関する記述が見られるサイトが増えていました。
小関康幸氏(国立音楽大学附属図書館に勤務)のホームページの「コーヒーブレイク」という章の
第97回「オークラロをこの眼で見た日」。ここではルーダル・カルテ社製のF管ソプラニーノのデジカメ写真も見ることが出来ます。
第98回「オークラロに初トライして失敗するまで」の、試奏失敗談は笑えました。(ちなみに小関氏はトローンボーン吹き)
第100回 「2月の落穂拾い」には、僕のこのページへのリンクも頂いています。
なお、小関氏によると「オークラウロ」は後日、「オークラロ」とも呼ばれていたそうで、前述のように名前が普及しなかったためという僕の推理は邪推だったようです。訂正いたします。
僕も一度実物に触ってみたいものです。
0コメント