モイーズ夫人、セリーヌ
写真はマルセル・モイーズの夫人セリーヌ(1885~1971)の晩年。視線の先には穏やかな笑顔のマルセルが写っていた。
モイーズの誕生は私生児として生まれ、直後に母親が亡くなり、親切な婦人によって7歳まで育てられると言うドラマティックなものであったがセリーヌもまた、日仏のハーフ、私生児としてブリュターニュに生まれる。直後に母親が結婚したが、その後に生まれた子供たちと父親が異なるセリーヌは祖母の寵愛を受け成長したという。14歳でパリに出て、メイドをして働き始める。その後、ダンスを学びゲテ・リリック座のダンサーとして契約するにまでになる。彼女は、美しい声の持ち主であったという。
1911年、マルセルとセリーヌは、そのゲテ・リリック座で出会い、翌1912年3月12日に結婚。8月14日に息子のルイが誕生している。
セリーヌは当時、小柄でエキゾチックな美貌の持ち主で、歌劇「タイス」で有名なマスネや、すばらしいバス歌手ヴァンニ・マルクーなどが恋心を寄せていたそうだが、マルセル氏とは生い立ちなどの境遇で理解し合える部分が多かったマルセル氏が彼女の心を射止めたようだ。
セリーヌについて、トレバー・ワイ氏が著書のなかでこう語っている。
『モイーズの多忙な人生を通して、セリーヌはものごとを取り仕切ったり、人をもてなしたり、支えとなっていたが、彼女自身が目立つことはなかった。モイーズにとって彼女はこの上なく大切な存在だったのである。というのもセリーヌはモイーズがフルート以外のことで煩わされなくてすむようにしていたからである。モイーズの教育家、演奏家、著述家としての業績も、彼女の存在なくしてはこれほどまでには至らなかったに違いない。』
内助の功という風に聞こえるかもしれないが、人生の様々な局面で「戦い」の多かったモイーズにとって、彼女の存在は精神面での無言の理解者として、我々の想像以上に大きかったのではないだろうか。1971年、夫人に先立たれたときのモイーズの落胆ぶりは、レッスン中に感情を抑えられずしばしば落涙し、「セリーヌのもと行くことが、唯一の願いだ」とまで言わしめたほどだったそうだ。
たしかに、「つむじ曲がり」なモイーズの性格を、セリーヌ以外の女性が支えられただろうか?と思うにつけ、我々が現在受けている恩恵には彼女の存在が大きかったことを忘れてはならないと思うのである。
(2000年5月28日 室長Kirio)
0コメント