技術者から見たモイーズモデル(中川康大)特別寄稿
モイーズ研究室に出会ってもう20年くらい経つでしょうか。クラシック音楽の素養も、フルートに対する理解もほとんどなかった私が、初めて触れたマニアックな世界。とは言っても、マニアックであることは私にとってそれほどの価値はなく、むしろそこに記されている内容、アップロードされている音源を聴き、そこに本質があると直感的に確信して勉強させていただいてきたものです。
この夏、妻と娘を1カ月間日本に帰すタイミングでふと思いつき、最近オーバーホールしたクェノンのモイーズモデルを室長である松田さんに試してもらおうと妻に持たせたのでした。結果的に、助手である山村さんにも試していただくことができ、後から思えばあまりに不完全な状態だった(それに気づいた日は冷や汗ダラダラでした・・・)のですが、それでも驚くべきことにおふたりに前向きな反応をいただくことができホッと胸をなでおろしているところです。今回、このおふたりからモイーズ研究室に寄稿することを提案していただき、半人前技術者として恥ずかしい部分もいくぶんあるのですが、ここまでの技術者人生でクェノンのモイーズモデルとそれに伴う奏法などについて私が考えてきたことが、もしかしたら誰かのお役に立つことがあるのかもしれませんので、簡単にですが記してみたいと思います。
まず、モイーズモデルについて語る前に、私が現代フルートに対して感じている違和感について書いておきます。というのもインターネットが普及した昨今、世界各地のアマチュアからプロまで、映像を通してその演奏に触れることができるわけですが、私の感覚ではほとんどすべての演奏家の響きに 骨盤や背骨が感じられない。そこに息が通っていない演奏には本当の朗らかな明るさがなく、根無し草のように鈍く漂っていて、説得力がない。もちろんここには人間の感性と体の時代的変化も理由としてあるでしょうし、それと並行して楽器の側が変化していった事実もあります。残念なのは、健全な精神(息)を持った音楽家がいたとしても、多くの場合、楽器が彼らの息を受け止めずにあらぬ方向へ誘導して行ってしまうことです。
私がモイーズモデルに出会い、いつの間にか何本も収集して共同生活を送る破目になっているのには、当初から明確な目標があったわけではありません。何年も前にたまたまイタリアからジャンク品のモイーズモデルを入手。それを修復し付き合っていくうちに、そこに大好きなモイーズの真髄どころか、ベーム式フルートの真髄があるように思われ、お手ごろな値段で出品されているのを見つけるとできる限り入手するようにしました。今は頭部管に手を加えられていない、時代の違う2本(そのうちの1本が、今回日本に渡ったもの)が手に入りましたので、収集熱もおさまり、彼らをどのように蘇らせるか試行錯誤しているところです。
モイーズモデルという、奇妙な見た目の偉大なフルート。その最重要意義は何かと問われれば、私は「カヴァードキイである点(フランスなのに!)」と「そのカヴァードキイにさらに特定位置に力が加わるように設計された指当てが付いている点」と答えます。
フルートという楽器は、誰もが知っている通り、元々は木などの筒に穴をあけ、その穴を指で押さえることで音程を変化させていたわけですが、音量面や技巧面での進化の過程でキイメカニズムが搭載されていったわけです。トーンホールも増え、10本しかない指でそれを巧みに操るために、キイは連結され、ひとつのキイを押さえることで複数のキイが閉じるという技術革新が生まれました。このキイメカニズムによる恩恵が計り知れないものであるのは論を俟ちません。しかしながら、全ての技術にリスクが伴うように、キイメカニズムというものにも気を付けなければいけない点があるのです。それは、キイメカニズムが芯金を軸とした「回転運動」で成り立っているという点です。
技術者の理想としては、例えばAの音の時はAの音の長さの、Gの時はGの長さの完全な管を作りたい。イメージとしては、それぞれの真っ平なトーンホールが、管と同じ素材の真っ平らな板で閉じられている状態です。しかし、それを回転運動している連動メカニズムで実現することは可能でしょうか。そんな一点を見つけ出すことは不可能でしょう。その理想をある程度実現するために、パッドがカップに入れられています。しかし、あくまで頭の中で描いているのは、上記の理想を実現することです。ということは、です。回転運動している平面がトーンホールの平面を捉えるのはただ一瞬のみなのです。その一瞬は、必ずキイの後ろ側の一点がその素材の芯部で閉まっていなければいけないのです。なぜなら、回転運動しているキイメカニズムにおいて、余分な力を加えて押さえることで、角度の合っていないパッドの前側を閉じることはできても後ろ側を閉じることはできないからです。それらのキイをさらに連結で閉じなければいけないわけですから、綱渡りのような危うさです。
今まで何本か、モイーズモデルを含めてオールドフレンチフルートのオリジナル状態を目にすることがありました。それらは総じて、パッドが前開きになっていて、演奏が不可能な状態でした。しかし、その状態だからこそ私は、それらの楽器の当時の素晴らしい状態を思い描くことができます。当時の技術者は、上記の「回転運動」の特性を本当に理解していたのです。全てのキイの後ろ側の密閉精度と均質性を担保し、かつ流麗に音楽を奏でるために必要なのが「カヴァードキイ」であり、トーンホールの外側に力が加わるように設計された「指当て」なのです。当時の技術者には我々には到達し難い高い知性と感性があったのです。
現代の楽器の多くは、楽器の上5つのキイの後ろ側が総じて芯を捉えきれていません。そして、その状態の楽器を鳴らすために、さまざまな頭部管が開発されてきたのだと思っています。それが、私が冒頭で述べた現代フルートの響きに対する違和感の正体の根源のようです。翻ってモイーズモデルは、その論理的正しさから、響きの最も芯のあるポジションを奏者に教えてくれます。すると、いつの間にか頭部管はモイーズの有名な写真と同じように内向きとなっていきます。話は少し変わりますが、全ての音で響きの芯部を捉えるようになると、そこから現代的な「正しいスケール」を導き出すのはそんなに大変ではなかっただろうな、とも想像されるのです。
正しい響きに対する感性と、それを論理的に理解し実現する知性。モイーズモデルはその奇妙な見た目とは裏腹に、普遍的な論理の究極を、私に教えてくれています。モイーズの録音であの一本筋の通った響きを聴けばもちろんそれは明らかなのですが、さて、技術者の側からそれを証明するために、これから帰ってくる楽器を、ない頭を駆使して最高の状態に仕立て上げなければなりません。それができたときにはもしかしたら、フルート音楽の小さなルネッサンスが再来するかもしれません!
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