クエノンのコピー(その1)Sankyo-CSモデル

 クエノンのモイーズ・モデルが本格的に楽器製作者により調査されコピーまで作製されたのは、僕が知っているかぎり日本の三響フルートによる<CSモデル>の開発時と、モイーズ自身の依頼でムラマツフルートがたった1本だけコピーした時を除いてほとんどなかったのではないだろうか。(他に海外での事例などがあれば、ご存じの方ぜひお教えください)

 これは実際、僕には不思議なこと(あのモイーズが使用していた「決して一般的ではない楽器」であるにもかかわらず「なぜ?」ということ)に思えてしかたないのだが、事実だから仕方がないですね。

 もっとも、三響の<CSモデル>は鈴木メソッドで有名な才能教育研究会の要請によるものと考えていい。モイーズに教えを受けた高橋利夫氏がフルート科の生徒用に必要としたため誕生することとなったのだ。三響フルートは社長の久蔵氏をはじめとするスタッフが、モイーズ本人から高橋氏が譲り受けたクエノンを調べ、氏の協力を得てこのモデルを開発した。才能教育という多くの需要を見込める巨大組織の要請がなければ、このコピーモデルははたして存在しただろうか?という気がするが、ともかく(僕のような熱狂的なモイーズファンには)幸いにも三響フルートは要請に答えたのだ。

 『モイーズ研究会』(高橋利夫氏主宰)の会報('74年6月発行 No.18、NO.19合併号)に掲載された『クエノンモデルのすすめ』と題した記事(ほとんどの記事は高橋氏の筆により編集されていたようだ)によると、

「今迄クエノンモデルの歌口はすでに完成し多くの人々が愛用されているわけですが」

とあり、この時期にはすでに歌口(頭部管)のコピーモデルが存在し、クエノンモデルと呼ばれていたようだ。(しかし、この呼称は主たる購入先である才能教育内部で通用していたと考えたほうが良いだろう。その後、クエノンの名前を伏せ、CSモデルという名前が三響フルートのパンフレットの片隅で控えめな表現で見られるようになるのだが、これには後述の三響フルートの考えが反映されていると思う。)そして、

「あの歌口が本当に生かされるのはクエノンのゲージに合わせた本体との組合せが不可欠です。最近、三響フルートでようやく2本の試作品が出来、試奏して見たところさすがに音程が正確で~」「これらはいずれもハンドメイドですが」

とあり、1974年にはハンドメイドのオプションとして(つまり、音孔引き上げで大量生産するための治具をまだ造っていなかった?)本体も含めた完全な形で作製するようになったことがわかる。

 CSモデルのコピーが頭部管から始まったのは、既に持っている楽器の頭部管と入れ替えるという安価な導入手段が受け入れやすいと考えられることと、頭部管がモイーズの音色に最も関係が深いと考えられたからだろう。しかし、当初はクエノンの歌口の息が当たる壁の高さ(ライザーの深さ)が現代の楽器よりも低いことが音量不足を招くと考えられたようで「音量の出る歌口」をねらった改良が試みられたようで、その形跡がCSモデル紹介パンフレット(現在僕の家の中で行方不明中)の文書中には見受けられた。そのためか、僕が最初に入手した初期型の銀製CS頭部管の歌口は深すぎ(もっとも一般的なフルートと同じだったのかもしれないが)だった。もちろん、息の当たるエッジが鋭いこと、テーパーが一般の頭部管より少々きつい絞り込みであることなどは、当時の他の頭部管とは一線を画してはいたのだが・・・。この「深すぎ」の問題は、次に管厚コンマ4ミリの真鍮製(銀メッキ)の頭部管をオーダーしたときには解消されていた。

 本体は、クエノンのトーンホール位置や直径がきちんと反映されていると思われ、最も頭部管寄りの2つの小さなトリルホールの間隔が一般のフルートより目に見えて広いこと、本体のEやFホールなどの足部管寄りのホールの直径が一般のフルートより大きいことなどは外見的にもはっきりとわかる。もっとも、クエノンの特徴的な同一平面オフセットキー(ホール)は一般的なオフセットの形状に置き換えられており、あくまでもこのモデルはクエノンのスケールや頭部管の設計をコピーした「三響フルート」なのである。

 このCSモデル開発にあたり、三響サイドには三響の名前(正確には発売元のプリマ楽器の名前が入りプリマ三響となるのだがを冠して)他の楽器職人が決定したトーンホールの位置やサイズなどを丸々コピーしたフルートを作製することへの抵抗もあったようだ。

 1976年、正式にCSモデルが総銀アーチストモデル(当時のムラマツではスタンダードモデルクラス)から発売となり、その年内に販売数の多いエチュードモデル(洋白銀メッキ)を発売するにいたって、三響は、

「現在の一般的な奏法で吹かれた場合はかえって音色、イントネーションがひどくこわされてしまい、フルート自体のレピュテーションに傷がつく恐れ」(モイーズ研究会会報より)

を危惧し難色を示したようだ。これは、先ず頭部管が当時の(現在にもある程度あてはまるが)平均的な奏法では、そのポテンシャルを発揮せず、そのために本体スケール設計の意図が反映されないため、「音程が悪い」「ひどくピッチが高い」などの評価を受けてしまい、それが三響フルートの技術への評価とつながることを恐れたのだと思う。CSモデルがクエノンの設計を正確にコピーしたのだとすると、これはクエノンのスケールが当時の一般的な楽器とは異なる性格を少なからず有していたという証拠ではないだろうか。この点について、トレバー・ワイ氏が著書の中で、クエノンを計測したが足部管が短めなことを除いて現代の楽器と大差なかったという旨を述べているが、どちらが正しいのだろう?僕は久蔵氏の職人としての経歴やその仕事の確かさから、この件については前者の判断を信用している。

 では、CSモデルがクエノンから受け継いだ設計とはどういうものだったのか?これについては後の章(もし僕が息切れしていなければあるはず)で詳しく(もし僕に可能ならば・・・だけど)述べることとする。


 蛇足だが、僕は才能教育の生徒ではないが、高橋利夫氏に約1年間(ほとんど、おしかけのような弟子入りで)フルートを学び、1970年代後半より自らCSモデルを求めて使用してきた。最初は銀製の頭部管=ライザー部高め、次に真鍮製の頭部管=管厚0.4mm、エチュードモデル真鍮製=管厚0.5mm、そして現在は洋銀製=管厚約0.4mmのハンドメイドで、これはすでに12年位使用していることになる。

 この履歴でCSモデルが初めは銀製や一般的な洋白(銅+ニッケル合金)で作製を開始→なかなかクエノンのオリジナルのような音質感が得られにくく、モイーズ使用のクエノンのような洋銀(銅+亜鉛+ニッケル合金)を使用しようとしたが、洋銀の引抜き管が入手できず→組成の近い真鍮(銅+亜鉛合金)管厚コンマ4を試し→厚みが足りないとしてコンマ5を試した流れが理解いただけるかと思う。現在、僕が使っているのは洋銀製だが、これはたまたま昔の洋銀に近い引抜き管を三響が入手できたという情報を得て飛び付いたものだ。現在のCSエチュードモデルの材質はどうなっているのか最近の情報には疎いのだが・・・。



 ちなみに、僕はクエノンの特徴的な同一平面オフセットがフルート全体、あるいは一部のポジションの音に音響的な影響を与えていると考え、ハンドメイドのオーダー時にこの部分もコピーした構造を「本物のクエノンを探したらどうですか?」と皮肉をいわれながらも、三響にお願いした。どうせなら、ブリチャルディ・キーの形状もコピーすれば完璧に近付くのだが、これは音響的に全く影響もなくますます値段が上がる効果の方が大きいのであきらめた次第だ。また、aisレバーもモイーズが使用していたクエノン同様、付けなかった。

これも若気の至りというものだ。

 念のため・・・これは私の使用楽器の写真で、ふつうのCSモデルは外見上は一般の三響フルートと全く変わりません。

ということで、このあたりでこの章おしまい。


(2000年12月10日 室長 Kirio)

マルセル・モイーズ研究室

「私の死後にも、音楽への敬意という伝統をフルートを吹く人々に残してゆきたいものだ」 マルセル・モイーズ 20世紀最大のフルート奏者の一人とも称されるマルセル・モイーズの足跡を辿るサイトです。 (スマホの方は左上のメニューバーからお入り下さい。)